易経書経講義 周書 金滕 その4

 周公、自ら告ぐ。予が仁、(仁は、人なり。この所にては、人がら、生い立ちと訓ず。)能く吾が祖、吾がに承け順ひ、逆らはずして、また、材幹(器量なり)多く、芸能多し。故に、能く祖考の、使役に任じて、鬼神に服事すべし。然るに、乃(なんぢ)の元孫(武王を指す)は、旦(周公自ら名(よ)ぶ)が、多材多芸なるに及ばずして、祖考の役使に任(にな)へず。鬼神に服事すること能はず。故に、祖考必ず、その人を左右に呼び寄せ、服事せしめんことを、求むるの意にて、この人(武王を指す)の病死を促すことなれば、材芸兼ね備はつて、能く鬼神に事(つか)ふることを得る。旦を呼び寄せて、これを用ゐるにしくはなし。必ずしも、元孫(武王)を用ゐるには、限る間敷(まじ)きことなりとなり。」按ずるに、己を揚げて、鬼神に告げ、武王を抑へて、役使に任へずと云ふは、己武王に代はつて、死せんが為なり。

 考:亡父。

  周公旦は言いました。

「私は先祖や亡き父に従順で逆らうことなく、また器量もよく、芸能も優れています。そのため私は先祖の任命に応じ、鬼神に仕えようとしています。武王は、私、周公旦よりも多材多芸でないことから、先祖の思うような役割を果たせず、鬼神に仕えることはできません。今、先祖は鬼神に付き従わせようと武王を呼び寄せ、病死させようとしておりますが、才智と技芸を兼ね備えていればこそ、鬼神に充分奉仕できます。この私を呼び寄せれば、私に及ぶ者はおりません。必ずしも、武王を用いる必要はないはずです。」

 おそらく、周公旦は自分自身をよく見せて、鬼神に告げることで、武王に代わって死のうとしたのでしょう。

 

 元孫(武王)は、材芸なくして、鬼神に服事すること能はざれば、すなはち只々命を上帝の庭に、受けて、君と作り、師と作り、その徳教を布(し)きて、以て四方の民を、佑(たす)け助くる事を掌(つかさど)らしめ、用ゐて、能く王家の基本を固め、爾三王の子孫を、下地に安定せしめ、四方の民をして、法を奉じ、令を守つて、祇(つつし)み敬(つつし)んで、我周家に服帰せざることなからしめよ。すなはちこれ、元孫の一身は、近くは、現時人民の依り頼む所、遠くは、王家子孫の憑(よ)り籍(かり)る所、もし、この重任ある身に於いて、一朝登遐(とうか)して、朝に在らざるときは、すなはち現時、及び後世の者、まさに、何れの所に、依り憑(かか)らんや。嗚呼、元孫の責任は、重くかつ大なること、かくの如し。故に、元孫は、誠に天帝の降し置かるる、宝命を墜とさずして、天下を、太平に治め、子孫継ぎて、天子となるを得ば、すなはち、爾三王の霊魂も、また永く依帰する所あつて、無窮に廟食する所あらん、となり。周公、請祷の詞、これに至つて、益々懇切なるを、見るべし。

 

登遐:《遠い天に登る意》天子の崩御をいう語。

 武王は才智と技芸がなく鬼神に仕えることができないので、ただただその命を宮廷に永らえさせ、君主や師として、徳のある教えを広め、四方の民をかばい、助けることに従事させてください。そして、よく王家の基礎を固め、あなた方三王の子孫を下地としてこの国を安定させ、四方の民に法律を理解させ、命令を守らせ、慎み敬わせることで、我が周家に従わせるようにしてください。

 武王の一身は、近くは今の民の頼る所、遠くは、王家子孫の頼る所です。もしこの重要な責任を負う身において、ひとたび崩御して王朝からいなくなれば、現在、そして後世の者はいったいどこに頼ればよいのでしょうか。ああ、武王の責任はこれほどまでに重大なのです。武王は、天帝が降ろし置かれた宝の命を落とすことなく、天子として天下を太平に治め、子孫を継ぐことができれば、あなた方三王の魂もまた永く拠り所とする場所があって、いつまでも霊廟で祀られるでしょう。

 周公旦の祈りの言葉は、これほどまでに強く願うものだったことが分かります。