易経書経講義 周書 金滕 その3

 周公、既に太公、召公の、卜せんとせしを、郤(しりぞ)け、すなはち、王の病気平愈を、先王に祷るを以て、己の職事と為し、(これ、国の一大事なれば、三卿、庶官に任ぜず、周公、自ら身に引き受けて、取り計らひたるなり。)三の壇(太王、王季、文王を祭る。)を為(つく)り、墠(せん)を同じくし、(一墠の内に、三壇あるなり。)以て、神を下すの処と為し、また、その南に於いて、別に一の壇を築き、(祭者、周公、この壇に上りて、北面して、南にある三壇に、向かふなり。)北に向かつて、祭者の位置を定め、周公、ここに立ち、を、檀上に於き、を、手に執り、すなはち、詞を陳べて、以て太王、王季、文王の霊に告げ、武王の疾の、平愈を祈りたり、となり。」これ、史官が、その時の式を記したるものなり。

 

璧:璧は、説文に、瑞玉の圏なり、とあり、圭璧は、圭は、鋭にて、璧は、員なり。公、侯、伯、は、玉を執り、子は、穀璧を執り、男は、蒲璧を執る。皆、五寸なり。白虎通に、璧は、外、円にして、天に象(かたど)り、内、方にして、地に象るとあり。

珪:珪は、圭に同じ。上、円にして、下、方なり。瑞玉を以て、これを為る。周礼に、四圭あり。王は、鎮圭を執り、公は、恒圭を執り、侯は、信圭を執り、伯は躬圭を執るとあり。説文に、恒圭は、九寸、信圭、躬圭は、皆七寸、また、六寸とあり。璧、珪、ともに、神を礼する、所以のものなり。

 

  周公旦は、太公望と召公奭が占おうとしたのを退けて、武王の病気平癒を先王に祈ることにしました。これは国の一大事のため、公卿やその他の役人に任せなかったのです。そして、太王、王季、文王を祭る三つの壇を作って神を降ろす所とし、また、その南に別に一つの壇を築き、祭者である周公は、この壇に上って、北に向かいました。ここに立って璧(翡翠製の円盤状の装飾品)を檀上に置き、珪(翡翠製で上が尖っていて、下が四角になった装飾品)を手に取って、祭詞を陳べることで三王の霊に告げ、武王の平癒を祈りました。

 以上のことは、史官がその時の儀式を記したものです。

 

 祭祀の式、既に備はる。太史、すなはち冊祝を読んで曰く、爾(なんぢ)三王(太王、王季、文王)の元孫、(武王なり)某、悪厲、暴虐、の疾に遇ふて、勢甚だ危ふし。然るに、元孫某は、すなはちこれ、宗祀を承け、王業を継ぎて、天の元子たり。爾三王の神霊は、まさに、元子を保護するの、責任(武王は、元子なり、武王を立て、天下を治めしよ、との責なり。求と云ふ意を兼ぬ。)を、上帝の前に、任ぜられしなるべし。然らば、その元子たる者(武王)は、死に至らしむべからず。もし、その病、果たして救ふこと能はざれば、すなはち願はくは、旦(周公の名)が、生命を以て、元孫某(武王)の身に代へて、某の疾を、平癒せしめよ、となり。蓋し、この時、周家の王業、日猶浅し。故に。武王没するときは、すなはち人心これが為に揺動し、国事、大に憂ふべきことありしならん。故に周公の祷詞、切迫なること、かくの如し。この章、古来、諸説ありといへども、今、その正理を本として、説中の、美なる者を取るなり。

 

冊祝:今の、祝版の類の如し。すなはち、のつと(祝詞)の文を、書せし冊子なり。

 

 祭祀の準備が整い、周公旦は祝詞を唱えました。

「三王の子孫であるあなた武王は、重篤な病気にかかり、非常に危険な状態です。あなたは王家の主として王業を継ぐ天の子です。先祖三王の神霊は、まさしくあなたを保護し、王として天下を治めさせる責任を、天帝に任じられているのです。よってあなたを死に至らしめることはできません。もし、その病から救うことができなければ、そのときはこの周公旦の命と引き換えに、病を平癒させてください」

 おそらくこの時は、周家が国を治めてからまだ日は浅かったために、《武王が没すれば人々は動揺し、国事も大いに憂えるようなことになるだろう》と周公旦が思い、祝詞が切迫したものになったのでしょう。この章は、古くから解釈が諸説あるのですが、今回はその正しい道理を基本にして、耳障りの良い内容を取り上げました。